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四柱推命命式を克服する人|東京世田谷の電話・LINE通話鑑定占い師 昭晴


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四柱推命命式を克服する人

 

タイトルが実に挑発的だ。四柱推命の命式を克服する人だって? そんな人が本当にいるかな。

 

いる! 本当にいる! もちろん、その数は本当に少ないが、それでも全くないわけではない!

 

それでは四柱推命の命式を克服するということは果たして何だろうか。四柱推命の命式を克服するという言葉は、まさに月支を克服するのと同じだ。

 

四柱推命の命式に月支だけではないのに、誇張された表現だと言える人もいるだろう。

 

認める。月支が全てではない。

 

にもかかわらず、四柱推命の命式を克服することが、月支を克服することだと書いた理由がある。

 

 

宮星論で月支は親宮と解釈する。簡単に言えば、月支という存在を両親と見たこと···。

 

私が選択できる配偶者や子どもと違って、先祖と親は私が選択できない。

 

そのため、命式で時間の根本となる年支を先祖宮、その次に時間の流れである月支を親宮と見るのである。

 

家門や先祖が影響力が少ないとは言えないが、私を産んでくれた両親のように直接的な影響は及ぼさない。

 

さらに、現代社会は家門より、現在の親の環境がもっと重要な世の中だ。

 

簡単に言えば…

 

⌜わが家は何の家柄だ⌟ このようなことより、⌜自分の両親は大手企業の役員だ⌟、⌜社会的な地位が高い⌟ことが、自分の人生にはるかに大きな影響を及ぼす。

 

 

なので、月支は環境···。それも人生に直接的に大きく影響する環境になる。月支は親と同じだから!

 

 

人は誰でも環境に影響を受ける。しかし、克服する人は十に一つ、百に一つ程度でその数が少ない!

 

困難と苦痛の前で大多数が現実と妥協して自己合理化をする。それが人間だ。人間は環境に適応しなければならない動物だから。

 

例えば、金が木旺節に生まれたら、良くても悪くても木という環境に適応して生きなければならない。

 

庚金、辛金の日干で生まれて金のように暮らしたいが、木旺節という両親に会ったので不便だ。

 

金は客観的で、木は主観的だ。なので、今日が木旺節という環境に会ったという意味は…

 

「私は実力で認められたいが、世の中は私の実力を認めてくれず、むしろ嫉妬する⌟という意味になる。

 

家庭的な意味からすると、たくましく成長したい子どもが「坊ちゃん扱い」する親に会ったわけだ。

 

身弱であればあるほどその程度はますますひどくなるだろう。

 

 

例を金旺節と木旺節で挙げたが、実はすべての命式が環境の影響を受けている。

 

自分の季節に会った乾緑格、月劫格、羊刃格も同じだ。状況が違うだけで、与えられた月支という環境を克服することは、川魚に海の中で生きろということと同じだ。川魚が海水の中に入れば、数時間は生きられるが、結局適応できずに他の何かの餌になってしまう。そのため、ほとんど不可能な話だ。

 

誰でも「四柱推命の命式を克服」するわけではない。

それでは本当の四柱推命の命式を克服する人はどんな人たちだろうか。

 

2つのケースがあるが、1つ目は命式以外の観相や風水において命式を克服するほどの競争力を持つ人!

 

たとえ、命式が身弱であり、主導権を持つことが大変でも、観相で鼻や頬骨が発達していれば、十分に主導権を持つことができる。命式が湿って寒くて憂鬱感がひどくても、風水で日当たりの良い平地に山と水の助けを借りれば、いくらでも憂鬱感を乗り越えることができる。

 

2番目は大運が変わる時だ。命式の原局8文字が生まれつきの役割だとすれば、大運はその役割の変化を意味する。

 

大運の地支が子月なら、その期間だけは原局の月と同じくらい強力な影響力を及ぼす。

 

ただ、大運が変わったからといって、無条件に原局を克服するわけではなく、いくつかの条件が必要だ。

 

問題は、いくつかの条件を備えた人がそれほど多くないことだ。

 

 

それで、同じ用神の運でも誰かは良くなり、誰かは苦しむのがこうした理由だ。

 

 

自分の命式について知っているということは、自分自身の前で正直になるという意味だ。

 

無能な人の現実逃避ではなく、ただロトのように漠然とした希望を抱くわけでもない。

 

福を得たいなら福を受ける準備ができていなければならないし、命式を克服したいなら冷静に自分の命式を知らなければならない。

 

実際、大運というのも、考えてみれば一つのチャンスに過ぎない。ただ自分はそれを知っていないということだ。

 

しかし、命式が悪い人ほど、運が変われば人生が変わると思う。

 

とんでもない話だ。

 

サッカーで、MFが攻撃手に良いパスをしても、最前方の攻撃手がゴールを決められなければ、何の意味もない。

 

ゴールが決まればアシストが認められるように、いくら大運がよくても、原局が滅茶苦茶なら、良いことはあまりない。もちろん、全然ないわけではない。

 

四柱推命の命式は克服するものではない。

 

四柱推命の命式は愛することだ。命式は自分自身の人生だからだ。

 

いくら命式が下格で発展性がなくても、それ自体が自分の人生だ。

 

命式が良く、素晴らしい構造があってこそ、愛されるものではない。もしそうだとしたら、あなたは本当にかわいそうな人だ。命式の良くない人よりもっとかわいそうな人は、自分の命式を愛せない人だ。

 

ポスティングをしている私の命式も欠点が多い。もちろん長所もあるが欠点も多い命式だ。

 

それにもかかわらず、私は自分の命式をあえて克服しようとしない。

 

どうせ自分にはできないこと、ないことにこだわることは時間の浪費だということに気づいたからだ。

 

そのように浪費する時間に自分がうまくできること、他人より競争力のあることを探して努力することで、自分の運勢を変えることができる。

 

自分の命式が良くないからといって、今の現実が苦しいからといって、挫折したり落胆したりする必要はない。

 

 

条件が整わずに生まれつきの命式を克服できないなら、それに順応して生きるのも悪い人生ではない。

 

自暴自棄の意味ではない。いくら命式が良くなくても、何か一つぐらいは他の人より優れた武器がある。

 

それを見つけて自分の武器にしろということだ。できないことに命をかけたりしがみついたりせず、できること、うまくできることを探せという意味!

 

もし、自分の命式で9つの短所と1つの長所があるとしたら、9つの短所に苦しまないでほしいということだ。

 

一つの長所を愛し、それを磨けばいい。そうすれば、残りの9つの短所は徐々に隠れる。

 

 

四柱推命の命式の構造とは関係なく、自分の命式を愛することができる人は、自分自身を愛することができる人だ。

 

自分自身を愛する人が、運も変わり、人生も変わる。

 

幸せに…


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