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本と現実|世田谷電話占い・LINE通話鑑定【昭晴占い鑑定所】


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本と現実

 

四柱推命学を勉強している方々が共通して感じることの一つが、まさに本と現実の違いだと思う。

 

自分なりに本で熱心に勉強したが、現業での現実は本とあまりにも違うということを痛切に感じる。

 

理解する。

 

私も一時はそうだった。

 

ある本を買って勉強しながら現実に代入してみると違いが多すぎて、また有名だという(???)占い師が書いた本を買って勉強するようになり、

 

その本も現実とあまりにもかけ離れた理論が多すぎて、使えるものがなくてまた別の本を買う過程を繰り返すようになる。

 

そして、四柱推命書籍は他の書籍に比べてなんでそんなに高いのか?

 

 

普通、このような状況で占い師は3つの方向に進む。

 

"私が勉強を怠けたな"と思ってもっと本で熱心に勉強する場合!

 

"四柱推命は実生活と全く合わない虚像だ"と思って占い師をあきらめた場合!

 

"いくら頑張っても分からないから、適当に相談してお金を稼ごう"と思う占い師になる場合!

 

 

いずれにせよ、本当に残念だ。

 

それなら、あのような状況を作ってはならないが、そうするためには考えが変わらなければならない。

 

世の中というものは因果で回っている。

 

絶対偶然というものはない。自分がその理由に気付かないから偶然のように見えるだけだ。

 

それなら、結果が悪いということは過程が間違っているということだが、そのようなミスを犯さないためにはそれを自覚して修正してこそ発展がある。

 

江戸時代の伝説的な武士の宮本武蔵の言葉を思い出す。

 

「3回の同じ攻撃でも相手が倒れないなら、攻撃を変えろ」という言葉だ。

 

何らかの過程で問題が生じれば、ひとまず止めて振り返る姿勢が必要だ。さもなければ、そのような問題は自分が気づかないうちに繰り返し発生する。

 

それではなぜ本と現実の差が生じるのか?

 

人は生まれつきの部分も多いが、見ること、聞くこと、学ぶこと、接することなどで形成される環境的、社会的要因の方が多い。

 

 

格局の終わりといわれる「子平眞詮」を書いた「沈孝瞻」先生を見てみよう。

 

沈孝瞻は清代の高官だった。

 

当時、世界的な強国だった清の高官だったため、沈孝瞻が会う人はみな既得権層だった。

 

一言で言えば、すでに成功し、有名な人だけが接して会ったということだ。沈孝瞻もやはりその群れの一人だったし…

 

そのため、人生を見る視線と哲学が自然に人の社会的な役割とその使い道を重視した。

 

官僚の立場では個人の幸せよりは社会の安定と出世が優先で...

 

それを成し遂げるためには、個人の力量よりも社会的な処世と関係度を重視するしかなかった。

 

 

それで、子平眞詮を見ると、「人は社会に順応して生きてこそ成功する!」をテーマで作られた。

 

 

それでは「滴天髓闡微」を書いた「任鐡樵」先生を見てみよう。

 

やはり清代の人物だったイム·チョルチョは青年時代、官職に望んだが、そのつど落ちてしまった。

 

何一つ成し遂げたこともなく年を取っていたが、弱り目に祟り目で父が亡くなり、生活も苦しくなってしまった。

 

結局、官僚の夢をあきらめ、易学を習って、易学者の人生を生きるようになる。

 

『子平眞詮』の著者である沈孝瞻と比べると、官僚と平民の違いだ。

 

良い背景も身分もなかったし、ひいては任鐡樵本人の性格も悪く、社会性もなかったという。

 

社会が彼の能力を認めてくれないため、任鐡樵は人生を見る観点が沈孝瞻とは大きく違っていた。

 

より大衆的で、より柔軟だった。

 

個人の吉凶を社会的な役割よりは個人の力量と他人の認定だと判断したのだ。

 

それで、滴天髓闡微を見ると、「人は自分の能力を他人が認めてこそ成功する!」をテーマで作られた。

 

 

そのような理由から、子平眞詮は月令の順逆、滴天髓闡微は日干の旺衰を中心に解釈する。

 

月令に命をかける子平眞詮と月令が重要だが、それがすべてではないという滴天髓闡微の差だ。

 

四柱推命書籍が子平眞詮と滴天髓闡微があるわけではないが、四柱推命を代表する書籍であるため、例を挙げた。

 

どちらが間違っているとは言えない。四柱推命学は時間と空間の学問であり、その時間と空間は変わるからだ。

 

そうすると、その中に属している一人ひとりの人生も固定されず、多様な姿が現れるようになる。本に縛られるとこんな原理を逃すことになる。

 

 

本を読むことを批判するものではない。

 

私がこのブログで何度も明らかにするが、根本的な知識なしに命式だけ解釈するのは滅びる道だと言ったから!

 

本を見て講義を聞くものの、本の内容を習得することに汲々せず、その意図を知って把握すべきだ。

 

それで機械的に詰め込み勉強をする人は発展がない。

 

たった一つを学んでもその根源を知り、理由を知り、原理を知ってこそ、正しく解釈することができる。

 

そして、本を読もうとするなら一つの本ではなくいろいろな本を読まなければならない。人生を見る観点は多様だからだ。

 

ただ本を読むのではなく、自分が著者だと考えてなぜこう書いたのかを考え、また考えなければならない。

 

そうしてこそ、人に対する理解と社会に対する理解が生まれ、その時から運勢がまともに見える。

 

ただ「財星は金であり、印星は勉強だ」というふうに暗記すると、いくら多くの命式を見ても、正しい答えが出ない。

 

 

なぜ財星はお金と言い、印星を勉強と言うのか、その理由と意図を知ってこそ、命式を解くことができる。


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